いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

垣間見えた危うさと課題

※今回の記事はかなり不快な思いをされるかもしれません。
でも、自分の正直な気持ちを記したいと思います。






今日は変だった。
今朝起きた時、布団から出ようと思えなかった。
寒いから、とかダルイから、とか疲れるから、とか仕事したくない、とか、悲しいから、とか理由があるわけじゃなかった。
ただ、出たくなかった。
頭で理由を考えるより先に、まず身体が動かなかった。
理屈なんかじゃない。もっと奥底の本能的な部分で。
このまま固まっていたいと心底思った。
でもわずかに残っていた理性を使い、頭をフル回転させて”行かなきゃだめ”と言いきかせ、何とか起きて無心で準備した。
目覚めた時どうしてこんな感覚になったのか、も考えないようにしていた。


職場について仕事の準備をする。
この時は別に普通、だと自分では思っていた。
でも朝の会議の時、いきなりきた。


ここからの文章は大抵の方は意味不明だと思う。
自分でも、どう言葉で表していいかわからない感覚だったから。


まず周りの景色が不鮮明になった。
そして周りから聞こえる音も小さくなった。
でも何を喋っているかはちゃんと聞こえる。
周りで起こっていることが自分に関係あることのはずなのに、自分がその中にいるという実感がなかった。
下手くそな例えだが、ステージ上でやっている演劇を自分が観客席でたった一人冷めた目でみているイメージ。
もしくは自分と世間の間に薄いけれど、絶対に割れないガラスがある感じ。


自分と世界。
温度がぜんぜん違う。
「 私 の い る べ き 場 所 は こ の 世 界 じ ゃ な い 」
自然にそう思っていた。
そしてその反対側には私がまだ行ったことのない世界。
彼のいる世界があると直感でわかった。
多分、今までと違う方向にもう1歩踏み出せばそこに行ける可能性があることも。
そしてそうわかりはしたが、何の感情の起伏も起こらなかった。
嬉しさ、悲しさ、寂しさ、恐れ、後悔etc・・・
そんな感情すら思い出せなかった。
家族とか、友人とか、同志の方とか、職場のこととか・・
私のことを大切に思ってくれている方すら見えなかった。
その時の私にとって違う世界には何の興味もなかった。
ただ、あぁこっちへ行けば私は消えるな、としか思わなかった。
もしかしたら、もう一つ何かきっかけがあったら、私は今この記事を書いていないかもしれない。今思うとそれくらい危うい状態。


ふと、私のことを呼ぶ声が耳に入った。
私に発言を求める声だ。
その一瞬で完全には戻らなかったが、人と話しているうちに元の自分になれた。
そしてそれからは普通だった。


何がきっかけでそういう状態になったのか、今でもわからない。
朝の会議で特別何かあったわけでもない。
フラッシュバックしたわけでもない。


でもこの体験をきっかけにわかったことがある。
自らいなくなることを選ぶのは、悲しくて悲しくてたまらない時じゃない。
つらくてつらくてどうしようもなく消えたい時でもない。
自分の中の感情、欲望、関心が0になった時なんだということ。
その時こそあちらへの世界のハードルがものすごく低くなるんだということ。
感情が激しく揺さぶられている時じゃない、自分の中で全てが空っぽになってしまった時に、何か一つきっかけがあっただけで、存在する世界が変わってしまうかもしれないということ。
今朝の私はそれになりかけていた。


あちらの世界へ自ら行くこと。
私は今までそれは絶対にしない、と思っていたけれど、実は薄皮1枚挟んだ所ぐらいにそのきっかけはあるかもしれないと思い知った。
「自分を強く持つこと」
これが私の当面の課題かもしれない。

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