いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

夜中に悶々と考える

時々、考える。
私と出会わなければ、彼は今も生きていたんじゃないかと。


彼がいなくなった直接の原因は、(多分)職場のトイレで転倒し、頭を強く打ったことによる外傷性くも膜下出血、脳出血。
合併症である脳血管攣縮による脳梗塞、脳ヘルニアも起きてしまった。


もちろん転倒の現場に私が居合わせたわけじゃない。
転倒を防げたか、というと防げなかっただろう。
でも転倒の一つの原因を、私がいたことで作ってしまったのではないかと思う。
彼はきっと疲れていた。無理をしていた。
私と結婚するために。一緒にいるために。
それが祟って疲れが溜まって、ふとした拍子に転倒したのではないか。
そんな気がしてならない。


彼は常に車椅子だった。胸から下は全く動かず感覚もない。指先も少し不自由だった。
でも日常生活の動作は全て自立していた。
時間がかかったり、他の人と少しやり方は違ったりしていたけれど。
自分自身が快適に過ごせるよう、いろいろな工夫をして生活していた。
本当に器用で努力していた人だった。彼は。


でも「車椅子=かなりもしくは全般に介助が必要な人」という認識をしている人もまだまだ多いと思う。
私は職業柄、ひとくちに車椅子の方と言っても生活レベルは一人一人違っていることをわかっているが、まわりに車椅子の人がいないとそういうことはなかなかわからない。
実際、私の両親もそうだった。
両親にいずれは彼と結婚したいと考えていることを匂わすと、「賛成はできない。苦労すると思うから。」とはっきり言われたこともある。
彼自身も私以上にそれをわかっていた。
「車椅子だから」と初対面の人に理不尽な扱いを受けたことも一度や二度ではないこと、偏見や差別を目の当たりにしたと私に悲しそうな顔をして話してきたこともある。
おそらく私の両親が反対していたことも、薄々感づいていたと思う。


だから彼は努力した。
認められようと必死になった。
そしてその結果、今の生活を手に入れた。
一人暮らしもできるようになった。
でも車椅子だから、何かをする時人より時間がかかったり、体力を余計に使ったりすることが多い。
それで無理をしていた。
私はそれに気づいてあげられなかった。
ちゃんと支えてあげられなかった。
そんなんで彼女といえるのだろうか。


私以外の・・・もっと気のきく人だったら、彼をちゃんと支えてあげていられたかもしれない。
もしくは私と出会わなければ、彼は自分のペースで無理をせず生活していたかもしれない。まだ生きていたかもしれない。
本当にごめんなさい。

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