いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

彼の最期の眠りと私の願い

私はもともと低血圧のせいか、朝に弱い。

覚醒まで時間がかかるし、寝起きですぐ食事を摂ると気持ち悪くなってしまう。

対して彼は寝起きがすごく良かった。

朝、目覚ましがなればすっきりと起きることができたし、すぐに活動を開始できた。

すごく羨ましかった。


どんなに熟睡していても、私が「○○~」と名前を呼んだらすぐに起きたっけ。

いきなりパッチリ目を覚ますから本当にびっくりした。

そして「ナナドゴブ♪」って笑って言って、ギュッと抱きしめてくれた。

逆に彼が早く起きた時、寝起きの私にちょっかいをかけて私が素で怒った時もあったな。

「あの時のナナドゴブは本当に怖かった・・・」なんてびくびくして言ってた。

ちょっとかわいいと思ってしまった。


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納棺する前、斎場で布団に寝かされている彼はまるで寝ているみたいだった。

少し2人きりにさせてもらえ、私は何度も彼の名前を呼んだ。

顔を触ったり、手を握ったりしながら。

でも彼からは何の反応もなかった。

目を覚ますことも、「ナナドゴブ♪」って呼んでくれることも、抱きしめてくれることもない。

『ねぇ、いつもだったら名前を呼んだら起きてくれるじゃない。起きてよ、ねぇ起きてよ。私の名前を呼んでよ。抱きしめてよ。』

そんな叶わない願いを思いながら、彼の名前を呼んだのを覚えている。

その時、無意識に泣いていたと思う。


あの時のことを思い出すと今でも辛くなるけれど、絶対に忘れたくはないな。

いつか、もう一度名前を呼んでもらえて抱きしめてくれる時がきたらいいな。

中途半端だから?

私の命が尽きる時はいつなんだろう。

そしてどんな風に命が尽きるんだろう。


彼を喪ってから、1日1回はそんな風に考える。

でも多分「その時」がこないとわからないんだろうし、「その時」が来たとしても自覚できるかどうかなんてわからない。

彼に逢える保証だってもちろん、ない。


この世は魂の修行の場だ、ということを聞いたことがある。

本当かどうかはわからないけれど。

彼は29歳という若さでこの世を去ってしまった。

確かに人よりも苦労をしてきたし、全力で生きていた人だとは思う。

だから、早くいなくなってしまったのか。

もっと生きて、幸せを味わっても良かったんじゃないかと思うけれど。


対して私は・・・そこまでの苦労をしてきたのだろうか。

彼を喪った時は、確かに人生で最大の絶望感だった。

この世にこれ以上、悲しいことなんてあるのだろうかと思った。

ただ、彼を喪うまでは山あり谷ありだったけれど、割と普通の人生だったと思う。

それに今の私は仕事やプライベート、全てにおいて中途半端だ。

仕事もできていないし、休みの日もだらだらしている。

本当になんとなく生きている感じだ。

これではお迎えを遠いだろう。


仕事、プライベート、全てに全力を注いで倒れる寸前までいけば、「もういいよ」ってお迎えが来てくれるのだろうか。

そうなのであれば、頑張る。


ただ少し思うのは、この世にこれ以上の絶望があるのかということ。

彼を喪った後も私が生きているのは、私の人生にこれ以上の絶望が待ち構えてるかもしれないということ。

それは正直怖い。その時私は正気を保っていられるか、自信がない。

私が壊れるのは全然構わないけれど、それによって周りに迷惑をかけたり、彼との思い出を忘れてしまうのが怖い。


私はいったいどうすればいいんだろう。

私はあと何年生きなくちゃいけないんだろう。

立ち止まってるのもダメだし、前に進むのも怖い。


あの頃に戻れたらいいのにな。

五年前のあの日

1日過ぎてしまったけれど・・・


2011年3月11日。

あの日私は家でのんびりしていた。

その時、揺れを感じた。

近くで地震があったのかな~くらいにしか感じていなかった。


その後、テレビをつけたら遠く離れた東北で大変なことが起こっていると知った。

津波の映像に、これは現実なのか?と呆然とすることしかできなかった。


何かしたい!と思っても募金をすることしかできなかった。


あの日、津波は街を壊しただけじゃない。

たくさんの人の日常生活を押し流していった。

そして大切な人を喪った人が大勢いる。

私はその方達の痛みを完全にわかることはできないけれど、今は少しだけ似ている部分があるのかもしれない。

でも、だからといって私じゃ何の力にもなれない。

募金をしたり、東北に行ったりすることしかできない。

愛する人を突然喪った悲しみ、苦しみ、怒りは自分自身でどうにかするしかないからだ。

他人の気持ちを自分がどうにかできるわけではない。

彼を喪った今、そのことを嫌というほど実感してしまった。


だけど、何か力になれたら・・という思いはもちろんある。

どうすればいいのかまだわからないけれど。


震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。