いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

ご挨拶と皆様へのお礼

いつもこんな拙いブログを読んでくださって、本当にありがとうございます。
とりあえずこの記事をもって、私のブログは一段落です。
今後今までのように更新はしませんが、彼との想い出や自分の正直な思いが書いてあるので、消すことはないと思います。
ただ彼との想い出をふっと思い出した時に、ひっそり更新するかもしれません。
ブログを綴ることで自分の気持ちの整理になるとわかったので、もしかしたら死別と全然関係ない、全く別のブログを始めるかもしれません。
日本ブログ村からも外れるかもしれません。


私の周りで若年でパートナーと死別した人はほぼ皆無でした。
なのでこのブログを始めた時は無我夢中でした。
初めて経験する感情、行き場のない思い、身を引き裂かれるような悲しみ、寂しさ、怒り。
それらをとにかく吐き出したくて。同じ経験をされたどなたかと繋がりたくて。
必死でした。


ここでは自分の感情を隠さずあるがままに書いていたので、お見苦しい点も多々あったと思います。
それでもブログで自分の気持ちを吐き出すことによって、随分と救われました。
また同志の方との繋がりも持て、中には実際にお会いすることが出来た方もいました。
お会いして、笑いながら時に泣きながら愛する人のことを話すことができ、普段周りの人には話せない感情を昇華することができ、負の感情を持っている自分を否定せずにすみました。
さらにいただいたコメントや、他の方のブログを読み”あぁ、なるほど。こんな考え方もあるのか”とか”私だけじゃない、この方もこんな場面で同じ思いをされているんだ。でもこんな風に乗り切ったんだ”と学ばせていただくことも多々ありました。


彼がいなくなった後、今まで何とか踏ん張ってやってこられたのも、わずかながら成長できたのも、皆様のおかげです。
本当に本当にありがとうございます。
感謝してもしたりないほどです。
どうか皆様の日常が、少しでも穏やかなものになるよう願っております。



ナナドゴブ

自分の中でのケジメ、一区切り

このブログを始めてしばらくした頃。

いずれはブログを一区切りしなくてはいけないとは思っていた。

それは私が立ち直った時かな、となんとなく漠然と考えていた。


でもしばらく、彼がいない中過ごしてみて。

立ち直るなんて無理だと思うようになった。

この痛みは癒えることはあるのかもしれないが、完全に消えることはないと。

立ち直るのではなく、この痛みを抱えて生きていけるようになったら、と考えてはいたのだけれど。

多分、私の性格上それに甘えてズルズルと引き延ばしてしまいそうだった。


その時ふっと彼の言葉を思い出した。

「ナナドゴブはたまに俺を弟のように扱うけど、俺の方が年上だもんね~。そしてその差は絶対縮まらないからね~!」

彼は私より肉体的にも、精神的にも年上であることを願っているみたいだった。


だから。

彼より長い時間を生きたのだとしたら。

それはもう、私はまだこの世界で生きていけということなんだ、と勝手に解釈することにした。

2018年10月29日。

私が彼の生きていた時間に並ぶ日。

この日を過ぎても私がいるのなら、ブログを一区切りつけようと、もうずっと前から決めていた。

皮肉にもこの10月29日は、最後に彼と外でデートした日。私を看取ってくれると約束した日。

偶然とはいえ、何かあるのかな・・と考えてしまう。


そして今、私は生きている。

29年と3ヶ月と4日目。

この世にいる時間は彼を追い越してしまった。

なのでとりあえず今月いっぱいで、一区切りをつけようと思う。


ブログを始めてから約2年と10ヶ月。

たくさんの自分の感情と向き合ってきた。

彼との想い出とも。

自分自身、このままでいいと口では言いながら、内心変化しない自分に焦りを感じていた部分があった。

でも振り返ってみると、彼がいなくなった直後と今では自分もだいぶ変わった。

ノロいスピードだけど、気づかないうちに自分の時間が進んだのだろう。

前はそれに抗おうとしていたけれど、今は少しずつ受け入れている自分がいる。

これもある意味"時薬"なのだろうか。


彼との記憶を"優しい想い出"とするのは、多分まだ時間がかかる。

まだ傷は塞がっていないし、立ち止まったり蹲ったりすることもあるだろう。

それでも何とか歩んでいきたい。

彼が好きになってくれた自分で。

今の自分を造り上げたのは、彼との時間と彼がいなくなった後の自分の踏ん張り。

そう思って、それを自分の一部として認められるようになったらいいな。

彼への手紙

〇〇へ



お元気ですか?最近急に寒くなりましたね。
それともそちらは寒いとか、暑いとかは関係ない場所なのでしょうか。
そちらの生活には慣れたでしょうか。


〇〇がいなくなって、もう2年と10ヶ月が過ぎましたね。
必死になって生きていたので一日一日は長く感じていましたが、ふり返ってみるとあっという間だったようにも感じます。


今日。
この日が過ぎたら、私は〇〇よりも長く生きることになります。
29年と3ヶ月と3日。〇〇がこの世にいた時間。
それを越えてしまうことになります。
〇〇より年上になるのは嫌だ、そこまで生きたくないと思っていた時期もあったので、ほんの少し切ないです。


ここ最近。
〇〇との想い出を振り返っていました。
楽しかったこと、嬉しかったこと、そして少し悲しかったこと。
いろいろな感情が思い起こされました。
そしてその中で、改めて〇〇がどれだけすごい人だったかを実感していました。
どれだけ私を愛してくれていたのかも。
〇〇の彼女になれて本当に良かったと思っています。


残念だけど私はもう、〇〇を幸せにしてあげることはできません。
私が胸を張った生き方をすることで〇〇を安心させる・・ということはできるかもしれないですが、直接何かをしたりだとか、話を聴いたりだとかはもうできないです。
お互い、歯痒いですね。
〇〇も同じように想っているのでしょうか。
もしそちらにも幸せと感じる概念があるのであれば、私は〇〇に幸せであってほしいと思っています。
そちらのことがわからないから、私は〇〇のことを知ることができないけれど。


私はずっと思い悩んできました。
私とつきあって良かったのかと。私とつきあわなければ〇〇はもっと幸せになれたんじゃないか、長生きできたのではないか、と。
でも私は、たった6年間だったけれど、〇〇と一緒にいられて本当に嬉しかった。
つきあえたこと、私自身の主観では後悔していません。
例え全てがわかったうえで〇〇と出会う前に戻っても、私は〇〇とつきあうことを選ぶでしょう。
〇〇が私に見せてくれた最高の笑顔。
愛しているよという言葉。
改めて思い返してみて、疑うことの方が失礼だと思いました。
あの時〇〇も幸せを感じてくれていたのだと、最近素直にそう思うことができるようになりました。


ここまでけっこう偉そうなことを書きましたが、私はこれからも後ろを振り返ることがあると思います。
時には涙を流して、あなたに心配をかけることもあるかもしれません。
でも少しでも〇〇に誇りに思ってもらえるように。
〇〇があちらで安心して、幸せになれるように。
自分なりのペースで、しっかり自分の人生を生きたいと思っています。


そして。
遠い未来なのか近い将来なのかはわからないですが、私がそちらに逝った時。
もし再会できるのであれば、逢いたいです。
そして離れていた時のこと、一緒に過ごした想い出を笑いながら語り合いたいです。


最期の時、躊躇して言えなかったけれど、私と一緒に同じ時間を生きてくれて本当にありがとう。
愛しています。
どうかお元気で。



ナナドゴブ