いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

自分の誕生日に思ったこと

つい先日。

私は誕生日を迎え、30歳になった。

家族や友人から祝われた時はそれなりに嬉しかった。

でもついに彼よりも歳上になってしまった。

あーあ、と何となく虚しさを感じる。

これからどんどん歳が離れていくのか、と考えると余計に。


もし彼がいたら、彼はもうすぐ33歳。

どんな言葉をかけてくれただろうか。

多分おめでとう、とは言ってくれる。

そしてその後「ナナドゴブもついに30代になったね~♪俺と一緒ー!」なんてからかう姿が容易に想像できる。


33歳の彼と30歳の私。

お互いどんな感じでどんな会話をするのか、見てみたかった気もする。

多分彼がいたら、私自身も今とは少し違う自分になっていただろうし。

そんなことは無理なんだけどね。

実際は30歳の自分が29歳のまま止まった彼に語りかけてるんだけどね。

しかも端からみたら一方的に。

現在の自分から過去の彼に思いを伝えてるから、どことなくちぐはぐな感じがする。


まあそんなことを言ってても仕方ないので、次の休みはデートと称して彼(の写真)とどこかに行ってこようと思っている。

2人で行った想い出の場所、ではなくちょっと遠出して行ったことないような場所に行ってみようかな。

虚無感と寂しさ

ご無沙汰しています。
久しぶりの更新です。ちょっと吐き出したくなったので。


ブログの更新を辞めた後も、私はそれなりに生きていた。
仕事に遊びに・・それなりに充実していた。
そして定期的にお墓参りに行っては彼を偲ぶ。
1日たりとも彼を忘れた日はなかったけれど、彼だけを想う時間は以前よりぐっと減ったように思う。
このままゆっくり静かな日々を送れたら・・なんて考えていた。


そして先日。
彼のお姉さんからお茶に誘われた。
私は彼のご両親とはもうほぼ交流はない。私を見ていると彼を思い出して辛くなる、と言われたからだ。
でも彼のお姉さんとは細々交流はしていた。
時々お会いし、彼のことを含めた近況を話していた。
お義姉さんとお会いした時は、彼と久々に繋がれている感じがして嬉しかったな。
だからこの時も二つ返事でOKした。


お会いした時。
いつものように近況や彼のことを話すのかな、なんて思っていた。
でも実は違った。
マルチ商法のようなものに勧誘されたのだ。
お義姉さんはそれをいいものと思っており「ナナドゴブちゃんにも勧めたくて」と言ってこられた。
一応商品を見たのだが高すぎる。
とても続けられるものではない。
丁重にお断りさせていただいた。疲れた。
お断りするのってとても力が要る。
しかも相手は善意で進めているのだから余計に。
これが悪意満々なのであれば、罵倒して断れるのだけれど。


でも実は別れた後も食い下がられた。
申し訳ないけどうんざりした。勘弁して欲しかった。
LINEで「○○(彼の名前)にも勧めたかった」とあった。
彼はこういうのが大嫌いだったのにな、なんて思い、悲しくなった。
そして同時に思った。
あぁ、お義姉さんとはもう純粋に彼のことを話すことはできない。
次に会っても、この商品のことを絡めてくるんだろうなって。
そう思った瞬間、自分でも不思議なくらいすっと気持ちが冷えた。
申し訳ないけれど、彼のお姉さんとも関係を切ることに決めた。


寂しかった。
彼と続いていた縁がまた一つ切れたような気がして。
こうするしかなかったのか、もっと円満にできなかったのか、今でも考えている。
でもどこかでほっとしている自分もいるから、仕方のないことだったのだと思いたい。
人の気持ちや考え方は移ろいゆくもの。
そして人間関係に絶対なんてない。
そうわかっていたのに、やっぱり虚無感が凄い。


彼はお義姉さんが大好きだったな。
なのに私は付き合い続けられなくて、彼に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。



今度更新するときは彼との想い出を思い出したときかな、なんて考えていたのにこんな暗い記事でごめんなさい。

命日の決意

祥月命日なので更新。


今日は3回目の祥月命日。
彼がいなくなって3年ということになる。
命日、ということでやっぱり心はざわざわするけれど、昨年や一昨年よりは動揺していない自分がいる。


今日も静かに彼を偲ぶことができた。


このブログの最後の更新から1ヶ月。
いろいろあった。
今でさえキャパを超えているのに、仕事が来年からますます忙しくなりそうであるということ。
ずっと入院していた家族の病気の悪化、そしてもう長くないという宣告。
心が折れそうになっていた。
いや、もしかしたら折れてしまったのかもしれない。


でも、それでも。
私は生きると決めている。
這い蹲ってでも生きてやろうと思っている。
どんなに叩き潰されても。何度倒れても。
前向き、とはちょっと違う。
多分、意地だ。


これからどんな人生が待っているのか、私にはわからない。
でも私の命もいつかは尽きる。
それまでは生きる。
そうすることが自分の人生を生ききった、どんなに辛いことがあっても耐え抜いた彼に対する手向けじゃないかと思っている。


私は生きる。


実は挫けそうだったので、彼の命日に改めてそう決意し、書き残しました。