いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

病院の帰り道、考えたこと

今日は仕事が終わった後、母の病院へ向かった。
母は一般病棟に移り、管もドレーン以外は全て取れた。
食事も普通食になり、病棟歩行もフリーとのこと。
経過は順調そう。
血液検査のデータがよければ今週末にでも退院できそう。


母とは40分くらい話した。面会時間ぎりぎりまでそこにいた。
話している感じはいつもの母と変わりなかった。
もちろん体力は回復していないので、退院してからも無理はできないけれど。
でも顔をみるだけで本当に安心した。


病院帰り。
私は安堵する傍ら、ふっと彼が入院していた時のことを思い出した。
たった6日間の入院。
日に日に素人目に見ても、容態が悪くなっていく彼。
気のせいだ、絶対良くなる・・と思ってもどうしても嫌な予感が拭えなかった。
結果、その通りになってしまったのだけれど。
確かにあの時は、彼がよくなって病院でリハビリや食事をしていたりだとか、そこに私がお見舞いに行ったりするイメージを持とうとしたが、どうしても想像できなかったことを覚えている。
あれはやっぱりありえない未来だったからだろうか。


彼の病状が良くなってまた一緒に過ごしたい、と願う傍ら、直感では彼がいなくなることを予測していた自分。
あの時の、心が千切れそうな感覚は今でも思い出すと胸が締め付けられる。
やっぱり彼がいなくなるのは最初から決まっていたことなのか・・と答えがでないことを考え、負の感情のループにはまりそうになった。


明日は彼との楽しい想い出を書き残したいと思う。

突然の母の入院

前回の記事を書いた後、実家の部屋でのんびりしていたら、突然父親が慌てた様子で入ってきた。
「母さんが呻き始めた!」と。
母はその時お腹の調子が悪い、と早めに休んでいたのだ。
両親の部屋に入ると近くのものを握り締めて呻いている母。
普段ちょっとのことでは痛みを訴えない母が、ここまで唸っているなんてただごとじゃない。すぐに救急車を呼んだ。


救急センターで造影CT、血液検査を行う。
その結果急性虫垂炎。いわゆる盲腸だ。
緊急手術が必要、とのことで土曜日明け方手術をした。
手術は無事成功。
虫垂がパンパンに腫れていたらしいが、すべて取り切れたらしい。
土曜日の昼間には麻酔からも完全に醒め、いつも通り会話も出来た。
経過は良好とのこと。少し安心した。


でも母が救急車で運ばれている時や、手術を受けている時は不安で不安で仕方がなかった。
”何か悪いものだったらどうしよう””命に直結するような病気だったらどうしよう””手術中に何かあったらどうしよう”
そして何よりも”もしいなくなってしまったら・・”なんて考えてしまい、悪い考えに押し潰されそうになった。
医療従事者である程度知識のある私でさえ、ある意味パニックになってしまったのだから、父はもっと不安や恐怖があったに違いない。


母は昔から身体が丈夫で、滅多に風邪などひく人ではなかった。
でもここ最近は疲れやすくなったり、体調を崩したりすることも増えてきていた。
年齢を重ねた・・ということもあるのだろう。
無理はできなくなってきているのだと思う。
この機会にしっかり療養してほしいと考えている。
入院自体は多分1週間程度だろうが、その後も無理はできないので、自分が実家に通うことになるな~。
ちなみに実家での家事は悪戦苦闘した。
母が、どこに何を置いているか全部を把握していなかったからだ。
今まで実家に帰った時は、母に甘えてのんびりしていた部分があった。
猛省した。母が帰ってきたらいろいろ訊いて、実家での家事もきちんとやれるようにしたい。

十三回忌

明日は祖母の十三回忌。


12年経ったけれど、あの時のことは今でもしっかり思い出せる。

初めて経験した身近な人の死。

私が今の職業を目指すきっかけにもなった。


もし今、祖母がいたら80歳。

どんなことをして過ごしていただろう。

病気がわかる前までは風邪ひとつひいたことがなくて、絶対に長生きすると思っていた。

多分、祖母自身も。

きっとやりたいことも、楽しみたいこともまだたくさんあっただろう。


今祖母は何しているだろう。

今も変わらず、私達のことを見守っていてくれるのだろうか。

祖母のあの優しい笑顔が、今でもはっきりと思い出せる。


明日は祖母との想い出を思い返しながら、静かに偲んでこようと思う。