いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

入院 2日目

2015年11月29日。日曜日だったため、仕事は休み。

この日は昼から××病院へ行った。


部屋へ入ると酸素マスクから酸素チューブになっていた。

少しホッとした。

また、お茶を飲むこともできたと看護師さんが言ってくれた。

嚥下(飲み込む力のこと)機能は問題ないとのことだった。嬉しかった。


意識状態は昨日よりはっきりしているとのことだが、相変わらず眼は閉じていたので傍に座っているだけにした。

すると彼が眼を開けてこちらを見ている。驚いた。

「ナナドゴブ?」と私に訊く彼。いつもの彼の声だ。

「私が誰だかわかるの?ここがどこかもわかる?」思わず矢継ぎ早に質問してしまった。

「うん、わかるよ。」と彼。「俺、脳出血を起こして運ばれてきたんだよね?ここは××病院だよね?」「俺、職場のトイレで倒れたんだ。」と答えてくれた。

そして続けて、

「障害が重くなったら嫌だ。」「頑張って治す」「一緒に出かけられなくてごめんな」と彼は言った。

一番苦しいのは自分自身のはずなのに、こんな時まで人の心配だ。

本当に彼は優しすぎる。錯乱してもおかしくないのに。

私は手を握りながら、「その時はその時だよ。そんなこと気にしない。今は治すことが先決!!」と言った。彼は頷いた。


この日が一番、彼の意識状態が良かった。

私は今でも後悔している。

どうしてこの日、もっと話さなかったんだろう。

どうしてもっと彼の名前を呼んで、「大好きだよ、頑張って」と言わなかったんだろう。

この日が彼と会話らしい会話をした最後の日となった。

対面(2)

ICUを出た後すぐに帰る気にはなれず、1階にある病院の売店で飲み物を買い、椅子に座ってぼーっとしていた。

何でこんなことになったんだろう、どうして彼が?とかそんなことばかり考えていた。


そして手持ちの携帯で脳出血やくも膜下出血のことについて調べる。

今の彼の状態と照らし合わせると、絶望的なことばかり書いてあった。

彼はきっと良くなる!と何とか思い込もうとしたけれど、無理だった。

「おそらく何らかの障害が残る。そして最悪の結果もあり得る」

これが私の出した答えだった。変に専門知識があるのもやっかいものだ。

ただ、この時は妙に冷静だった。まだ自覚がなかった、といった方がいいかもしれない。


そしてもう一度彼に会いたくなった。

ICUに戻り、もう一度面会したい旨を告げる。

看護師さんは快く迎えてくれた。実際は迷惑だったかもしれないが。

本当に感謝している。

彼は先ほどよりも顔色が良いように見えた。

そっと腕や肩をさすり、声をかけた。

「○○、ナナドゴブだよ。わかる?」と声をかけると彼はかすかに頷いてくれた。

少しホッとした。

看護師さんに「今まで車椅子に乗っていた方だから、腕の筋肉は落とさないようにしないといけませんね。」と言われて少し安心した。

「彼には未来がある」と言われたような気がしたからだ。

でも相変わらず不安は拭えなかった。


その後面会時間ギリギリまでICUにいた。

”しばらくは病院通いになるな”なんて考えながら、病院をあとにした。

対面

××病院に着いた。

ここでふと思った。ICUには通常、家族しか入れない。

私は婚約もしていないただの彼女。入ることができるのだろうか。

とりあえず、ICUの入り口に向かう。

「あの・・今日入院した○○さんと面会できますか?」

看護師が訝しそうに「どのようなご関係でしょうか?」と訊いてきた。

「○○さんとお付き合いしています。」と答えると、「少々お待ちください」と離れていく看護師。

どうしよう、入れなかったら・・・と思っていると、「お待たせしました、どうぞ。」と中へ案内された。良かった。

手を洗って、マスクをしてICUへ入る。


個室のような場所に彼はいた。

酸素マスクをして点滴につながれて苦しそうに眼を閉じている。

「あまり刺激を与えない方がいいですね。」と看護師に言われたので、傍に座って見守っているだけにした。

両手は点滴を自己抜去しないようにベッドに拘束されている。

しばらくすると、急に右手で酸素マスクを右手で振り払い「吐く!!」と叫んで眼を見開いた。

慌てて看護師に報告する。彼は看護師が差し出した袋に吐いた後、少し楽になったのかさっきよりも表情が和らいだ。

しかし、右手で酸素マスクを取った際に点滴の針がズレてしまい、看護師に再度入れ直してもらった。「痛い、痛い」と叫ぶ彼。


私は、”あぁ吐いているのか、けっこうマズいな”とか”点滴を入れられるとわかるほどの意識レベルはあるのか”なんて考えていた。

職業上、ある程度の知識はあるためどうしてもそんなことを考えてしまう。

私はその後も彼の傍に座っていることしかできなかった。

1時間ほど経った後、ICUをあとにした。