いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

幻想と現実

ダメだ。完全におかしくなってしまっている。
現実があまりにつらすぎて、とうとう狂ってしまったんだろうか。
もう私の意識が逃避をしているんだろうか。
いや多分そうに違いない。


どうしてか最近「もうすぐ会える」という気がしている。
あの世とか生まれ変わりとかではなく、この世界で。
○○(彼の本名)とナナドゴブとして。
彼がいなくなった直後もそうだった。
すぐに会える気がしていた。
今はあの頃よりも確信めいた気持ちもある。
冷静に考えたらそんなことは絶対にありえない。
でも何故かそういう感情を止められない。
「会いたい」ではなく「会える」という気持ち。


彼から電話がかかってくるんじゃないかとか、メールが普通にくるんじゃないかとか、アパートに帰ったら、彼の車がそこに停まっていて「ナナドゴブー、どっか行こうよ~」なんて言ってくるんじゃないかとか。
ちょっとした拍子にきょろきょろと彼を探したり、彼の声を聴こうとする自分がいる。
・・・うわぁ、自分でも書いていて気持ち悪い。
以前、自分は悲嘆のプロセスの中の抑うつとかの取引の段階かもしれないと書いたけれど、今もまだ最初の段階の「否認」で止まっているのかもしれない。
本当の意味で受容できる日は来そうにないけれど。


最近、彼のお墓に行けていないからなのか。
お墓参りをして彼の法名が彫られた墓石をみたら、少しは実感できるんだろうか。
実感するのは怖いけれど。またどん底に突き落とされると思うけれど。
でもこんなふわふわした感覚じゃ、日常生活にも支障が出てくる。


今度の月命日は休みを取ってある。
ゆっくり彼を偲びつつ、お墓参りにも行って来ようと思う。
一旦気持ちをリセットして、また最低限の日常生活をおくれるようにしたいと考えている。
でも、でも、会えないかな?という気持ちもほんの少しだけある。

スマホを変えた

前のスマホがすぐに電池が切れる状態になってしまっていたので変えた。
彼がいた時から使っているスマホを変えるのは、やっぱり少し抵抗があったけれど。
でももう正直、どうしようもない状態になってしまった。


正確には買ったのは一昨日だけど。
店員さんの言うことが違って、スマホのデータの移行に時間がかかってしまった。
スマホからスマホへのデータの移行はやっぱり面倒だった。
数年前のガラケーが主流だった時は、もっと簡単だった気がしたけれど。
でも最終的にはアドレス帳、画像、アプリ、メール全て移せたので良かった。
LINEのトークは私の技術では引き継げなかったけれど、彼とのやりとりはテキスト上ではバックアップをとったし、前のスマホを充電させれば見ることができるので、まぁこれで良かったのかなとは思う。


ただ、このスマホには彼との想い出がもう増えていかないのかと思うとやっぱり寂しい。
過去の携帯、スマホを見返すと彼からの冗談交じりのメールや、傍から見たらバカなやり取りなんかも残されている。
他愛もない会話すら、もう二度とできないんて。
あの世というものがあるなら、そこにも電波がつながればいいのに。
会えなくても、スマホを通して会話ができたらいいのに。
そうしたら、ほんの少しだけ心も落ち着くのに。
そんなことを考えてしまった。

本当は

泣き叫びたい。
気の済むまでわんわん泣いて、彼の名前を声が枯れるまで叫んでいたい。
「どうして彼だったの!?」と彼を連れて行った”何か”に胸倉掴んで問いたい。
生きることにひたむきだった彼が、こんなに早くいなくなっていいわけがない。
「どうして最愛の人と一緒になることすら許されなかったの?そこまで悪いことを私はしたの!?」神様というものがいるなら、肩を掴んで揺さぶって訊いてみたい。
彼を返して欲しいと叫びたい。
悲しみや怒りに任せて感情を全て吐き出してしまいたい。


一時期はそんな時もあった。
これでもかと泣き喚いていたこともあった。


でも最近は感情に全て任せることができなくなっていた。
いいことなのか悪いことなのかわからないけれど。
どんなに泣いても叫んでも彼が帰ってくるわけじゃない。
楽しかったあの頃に時間が戻るわけでもない。
泣いて叫んだとしても結局は虚無感に襲われるだけだ。
それに結局”何か”とか神様とか私にはわからなくて。
その問いは誰にも向けることはできない。
周りの誰かに訊いたってその答えがわかるわけないし、困るだけだろう。


だから最近、そんな時はぼーっとして何も考えないようにしている。
そうすれば少しは気が紛れるから。
こんな感じで私はこれからも過ごしていかなくちゃいけないんだろうか。
彼がいなくなって8ヶ月で「最愛の人がいなくなる」とは一体どういうことなのか、それに一体どれほど人生に影響をあたえるのか、改めてわかった気がする。