いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

結局・・・繰り返し

「明日からまた1週間が始まる」

この言葉をブログに書いたのは何度目だろう。

でも週の始めはやっぱりつらい。

始まってしまえばけっこうあっという間の時もあるのだけれど。

感情を隠して、平気なように振舞う。

この作業も慣れた様で実はけっこうしんどい。


しかも今週から本格的に新年度の体制が始まる。

新入社員もたくさん入ってきた。

各部署で異動もたくさんあり、新しいドクターもたくさん来られた。

また1から関係を構築していかなくてはならない。

それはとてもエネルギーを使うこと。

正直に言ってすごく面倒くさい。


彼にそばにいてほしい。抱きしめて欲しい。

「頑張れ、ナナドゴブ!」そう言って頭を撫でて欲しい。

他愛もない話をしたい。一緒の時間を過ごしたい。これからもずっと。

・・・もしそれができたらものすごく頑張るのに。

仕事も。プライベートも。


ブログの過去の記事を見たら、似たようなことがたくさん書いてあるだろう。

「彼がいない」ということに甘えて、何も進めていない。

同じことばかり愚痴って、もう叶わない願いに縋る。

本当はそんな自分が一番嫌だ。

ダメな時期

ここ2~3日、とても不安定だ。

自分でもどうしたら良いか、わからない。

会いたい会いたいと、叶わない願いを泣き叫んでしまう。

どうして彼だったのか、とか何でこんなに早く、とか彼がいなくなった直後に思っていた感情が再び噴出してくる。

何かをする度に「彼と一緒にこれもしたかった、でももうできない」「私がしているこんなことすら、もう彼はできないんだ」と思ってしまい、その感情に押しつぶされそうになってしまう。


・・・・どうして、今になって。

ここ1ヶ月で少しは進めたと思っていた。


やっぱりそう上手くはいかないんだろうね。

進んだり戻ったりしながら、少しずつ自分の気持ちと折り合いを付けていく方法を見つけていかなくてはならないんだろうな。

私にそれができるかな。

「死」について

※かなり汚い言葉を使います。見る方によってはかなり不快な思いをするかと思います。

本当にすみません。でも自分の本心を書きます。





彼がいなくなってから、他の方の死別ブログだけでなく、脳外傷関連のサイトや「死」そのものについてのサイトを見て回った。

その中に「死は不幸なことではない」と書いてある文を見つけた。

肉体を捨て、魂だけになって自由になるので喜ばしいことだと。

正直、その時ハァ?と思った。いや、不幸なことだろうと。


もう2度と話せない。触れられない。何かを共有することもできない。

少なくとも残された側にとってはこれ以上不幸なことはない。

それに亡くなった方だって、もっとやりたいこともあったに違いない。

何よりもう抗えない力で別々にされてしまった。

これを不幸と言わないんだったら、何を不幸と言えばいいんだ。


「死は不幸ではない」なんて言っている人は、自分の最愛の人がいなくなっても同じことが言えんの?なんて思う。

目の前で最愛の人の心臓の鼓動が止まる瞬間。

あれこそ「絶望」という言葉がぴったりだ。


魂だけになって自由になるとかいうけれど、第一アンタ、死んだことないだろう。

この世に死んでから生き返った人間なんていない。

「臨死体験」とか「仮死状態から息を吹き返した」なんて話は聞くけれど、それは本当に死んだわけじゃない。

だからもちろん死んでからのことなんて、誰にもわからない。

それを偉そうに「不幸ではない」なんて言い切れる奴の気が知れない。


こんなどす黒い感情は、リアルではなかなか吐き出せない。

だから、この場で吐き出させてもらいました。