いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

最期について

※人によっては不快に思われる表現があるかもしれません。申し訳ありません。




彼は世間でいう”突然死”には当てはまらないのだと思う。
病院に運ばれた時点で混濁しながらも意識はあったらしいし、助かる可能性だってあった。
いなくなる前々日からいわゆる”死”へ向かっている兆候だってあった。
でも長い期間闘病していたわけでもない。
入院期間はわずか6日。
そのうち、私と言葉を交わせたのは1日。
頷き程度で返事をしてくれたのが3日(そのうち1日は、私の言葉が通じていたのかかなり怪しいが)
最期の2日半にいたっては昏睡状態。
彼からの反応は全くなかった。
いなくなる兆候があったことは間違いないが、それを受けとめきる前に彼はいなくなってしまった。
私からしてみたら”あっという間”という感覚で間違いなかった。


彼がいなくなって、私はかなり後悔した。
戻れるのなら、あの日の自分をぶん殴ってやりたいと思うくらいに。
どうしてあの時、喋ることができた日にもっといろいろ伝えなかったんだろうって。
どうして彼からの言葉をもっと聴こうとしなかったんだろうって。
唯一喋ることができた日。
いつもの調子で彼に喋れたから、彼も事の重大さを意識せずにすんだとか、あの時はあの日が言葉を交わす最後の日になるなんて、知らなかったから仕方ないとか。
自分に対していろいろ言い訳したけど、後悔の気持ちは尽きなくて。
泣いて泣いて、泣きすぎて吐きそうになるくらい、自分を責めていた。


時間が欲しかった。
いなくなる運命が変わらないのなら、せめて彼とお別れをいう時間が欲しかったと。
自分自身の思いを伝える時間が欲しかったと。
彼の思いを聴ける時間が欲しかったと。
ずっとそう思っていた。
せめて、もう少し闘病期間があったら・・
彼と意思疎通をはかれる時間があったら・・
なんて風にも考えていた。



でも最近、こんな風にも思う。
もし闘病期間があったらあったて、私は対応できていたのだろうかと。
支えられていただろうかと。


もし彼が余命宣告をされるような病気だとしたら。
そしてそれを彼が知ったら。
彼はどうしていただろうか。
多分、それでも生きようと懸命に努力しただろう。
でも闘病期間は想像を絶する苦しみもあるだろう。
やりきれない思いだってあるだろう。
自分自身も動揺しているだろうし、そんな中で私は彼の思いもきちんと受けとめられたのか?と考えると・・正直わからない。
最愛の人がだんだんと弱っていく姿。
それを目の当たりにする辛さ。
少しずつ遠くにいってしまうような感覚。
その苦しみを私は知らない。


医療従事者ゆえにわかることもある。
これからどのような病状経過を辿るか、とかこれはもう危ない、とか。
事実彼の時も、私が危惧していたように病状が変化してしまった。
そんな中で、最期まで望みを捨てずに彼に寄り添うことができるか、と言われるとおそらくできなかっただろう。
彼が下顎呼吸をした時泣きながら、「もう頑張らなくていい」と言ってしまった私。
あの時彼は意識がなかったけれど、もし闘病期間というものがあったら、私は無神経な発言をして彼を傷つけていたかもしれない。
生きる望みを奪っていたかもしれない。
今となってはたられば論だけど。


時間があったとしても、結局同じだったかもしれない。
動揺して結局何も言えず、時間だけが過ぎていったかもしれない。
もう、今となってはどちらが良かった、なんて言えなくなってきている。



彼は・・だんだんと意識がある時間が少なくなっていき、その後眠るように昏睡状態に陥っていった。
そこには痛みや苦しみがそんなになかったのだと思いたい。
そうであってほしい。
わからないけれど。
彼が”死”の恐怖を感じることなく逝けたのであればもっといい、と思う。
もし彼に逢うことができたなら、どうだったか訊いてはみたい。

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