いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

会えないということ

彼がいなくなった時。
もう二度とこの世では会えない、話せないんだって思った。
身を引き裂かれるくらい、悲しかった。
けど「二度と会えない」ということがどんなことか、今から思えば私はその時全くわかっていなかった。
実感が伴っていなかったと言うべきか。
まあ、それは当たり前か。
最愛の人を喪うなんて初めてだったもの。


最初の1年は頭では「会えない」と思いつつも、どこか期待してた部分があった。
彼に会えることを。
私をとても大切にしてくれた彼。
甘やかしてくれた彼。
全部受けとめてくれた彼。
だからその時も、私の望みを叶えてくれるんじゃないかとうぬぼれてた。
会いたいという望みを。
すぐに迎えに来てくれると思っていた。
実際最初の年の夏、11月7日に自分がいなくなる夢をみたし。
正夢になると信じて疑わなかった。
だからそれまでは頑張ろうと思った。仕事も。プライベートも。
彼の写真といろいろな所にも行った。約束していた国立博物館にも行った。
悔いは残さないつもりだった。
彼のところに逝くつもりでいたから。
思えばこの頃は一番の過活動期だったと思う。


でも2016年11月7日も過ぎて。1回忌も終わって。
私の日常は何の変化もなかった。
この時痛感した。
会えないんだ。彼がいない人生を生きていかなくちゃいけないんだ、と。
そして自分でもびっくりするほど堕ちた。
仕事以外、誰ともしゃべれない日が続いた。
早くいなくなりたい、どうして私が逝けないんだ、と泣いた。
何で迎えに来てくれなかったの、なんて彼に向かって見当違いなことを思ったりもした。


2017年は会えないという現実を少しだけ認識できた年だった。
でもまだそれと向き合う勇気はなくて。
誤魔化し誤魔化し何とか過ごしていた。
日常生活を普段と変わりなくおくること。
なるべく感情を波立たせないようにすること。
これが私にできる防衛手段だった。
彼を想って涙している時もなるべく向き合わないようにしていた。
もう会えないってこと。
この時本気で向き合っていたら、多分壊れてしまっていた。


そして、今。
昨年よりも会えないって実感が身に染みてきている。
その自覚も前よりある。
もう楽しいことがあっても、悲しいことがあっても彼には話せない。
彼の思いを聞けない。
私自身は変わっていくのに、彼は私の記憶の中の姿のまま。
変わることはない。
自分だけが進んでいるのだと、嫌でも実感させられる。


彼に会いたいと叫びたい衝動にかられても、もう一つの理性的な自分がそれを邪魔する。
泣いて叫んで何になるんだ、今までだって何百回も泣いてきたのに現実は変わらない。
だったら泣くだけ無駄だ。
笑え。
そんな思いが邪魔をして、最近は上手く泣けない。
周りにも「まだそんなことを言っているのか」「彼に対して未練を引きずりすぎだ」と言われるのが嫌で本心を話せない。
怖いのだ。自分の中の彼への想いすら否定されるのが。
そう思って自分の本心を隠して取り繕ってきているけど、いずれは限界が来るかもしれない。
なんだか疲れたな。いろいろと。


会えないってことは、こんなにたくさんの感情も一緒についてくるんだね。
知らなかったよ。本当に。
知りたくなかったよ。本当に。

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