いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

次の課題

ここ最近、堕ちている。
自分なりに考えてみた。
何で・・なのか。どうするべきか。


私は「彼がこの世にいないこと」はわりとすぐに理解したと思う。
あの日のこともあったし。
辛い、なんてものじゃなかったけれど。
悲しくて寂しくて悔しくて。
泣いて泣いて泣きまくった。
冗談抜きで私が生まれて彼がいなくなるまでの26年間より、彼がいなくなってから今までの1年10ヶ月間の方が泣いた回数は多いと思う。本当に。
身体と心がバラバラになるって、こういうことをいうんだって思った。
こんな辛くて悲しいことがあるなんて知らなかった。
そんな感情に翻弄されながらも、彼がいないことは理解している。


私がまだ受け入れられないこと。多分それは、
「彼がいない未来を自分が歩まなくちゃいけないこと」だ。
おいおい、彼がいなくなったことを理解しているなら当たり前だろうと思われるかもしれない。
でも私にとって、彼の死と自分独りの未来は=で結ばれてはいなくて。
そのことに最近、気づいたんだ。


2015年12月4日。彼がいなくなった日。
私の心も半分以上どこかにもっていかれた。
『生きる屍』状態、と言えばいいのか。生きているって実感がなかった。
身体は確かにこの世にあるけど、心はもう彼がいたころと同じようではない。
これは今でもそう。ただ取り繕いが上手くなっただけだ。
目的をもって生きているわけじゃない。
もう残りの、息をしている時間は余生だと思っていた。
朝が来るから、仕事しなくちゃいけないから、彼との約束を果たしたいから。
だから、生活していただけ。
何かに向かって生きてるわけじゃなかったと思う。
口では「進まなきゃいけない」とか言ってたけど。


でも、お彼岸のあの日
お義母さんに「あなたにはあなたの、これからの人生がある」と言われた。
その一言で私は実感させられたんだと思う。
自分で、自分の人生をこれからもつくっていかなくちゃいけないってこと。
しかも想像していた、『彼との生活』という自分が夢見ていた未来を諦めて。
無意識に私はまだ、彼と一緒の未来に想いを馳せていた。
叶わないって思っても。見ないようにしていた。
彼と私はまだ同じ道を辿れると、錯覚していたんだ。
だからこそ、私はこの世にいることに違和感すら感じていたんだと思う。
ここは私のいるべき場所じゃないと。
早く迎えにきてほしいと。


でも現実はそうでもなくて。
自分の人生は彼とは別にあるもの。
これから何十年と生きるかもわからない。
それをどう過ごしていくか、どう生きるのか 私 が 考えなくちゃいけない。
自分自身で決めなくちゃいけない。
しかも彼と生きるという選択肢は強制的に除外されて。


『自分の人生を生きる』
一言でいうと簡単だけど、今の私にはかなり重みがある。
相当分厚くて高い壁になる。
突き破るにはとてもとても苦労するだろう。
彼との人生を完全に諦めてしまうことになる。
ものすごく辛い作業になるとも思う。
相当な時間がかかっても、結局最後まで受け入れることはできないかもしれない。
自分の人生、自分の運命を。
正直、自分のこれからの時間を実感して私は絶望している。
今もこの記事を書きながら泣きそうになっている。
でも、やらなくちゃいけないんだ。
そう暗示をかけるしかない。


あの日、私もある意味で死んだ。
この世で過ごしていくには、
もう一度生き返らせなくちゃいけないんだと思う。





なんだか書いていくうちに気持ちがぐちゃぐちゃになってしまいました。
言いたいことが全然言葉で表せていない。
でも書き留めておきたかったんです。
乱文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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