いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

私の対処法

私は毎日、寝る前に「この現実が夢であってくれ」「起きたら彼がいる世界であってくれ」と願ってしまう。そんな願いは叶うはずないと、頭の隅ではわかっていても。


そのせいか、朝起きた時や中途覚醒した時の絶望感がハンパではない。
目が覚めた瞬間に一気に現実が襲ってくるあの感触。これは何回体験しても慣れない。
心臓がバクバクいって、胸が苦しくなる。息がつまる。
自然と涙がこぼれてしまう。
仕事がある日の朝は、いつもこの感覚と闘ってから行かなくてはならない。


ある夜どうしても明け方まで眠れず、アパートを出なくてはいけないぎりぎりの時間に起きてしまった日があった。その時はその「絶望感」と向き合わず、むりやり自分の気持ちを押さえ込んで仕事に出かけてしまった。
結果仕事が全く手につかず、気持ちが高ぶり涙が出そうになったり、電話で話したり人と喋ったりしていても全く内容が頭に入ってこなかったりした。
散々だった。


だからつらくても夜は少し早く寝るよう努力して、朝は時間に余裕を持たせるようにした。
そしてその「絶望感」と向き合い、我慢せず涙を流し泣き叫ぶ。
仕事が終わって車に乗り込んだ瞬間に、彼の名前を呼んで泣き続ける。
そうすることで、何とか公の場では平静を保っている。

どうして彼だったんだろう

彼のお父様から電話がかかってきた。
月命日に送った花束についてのお礼を改めて言われた。
その後少しお話していたときに、ある「事実」を言われた。


その「事実」の内容は今は書くことができない。
思い出しただけで泣きそうになってしまう。


でもその「事実」は彼がどれだけ私を愛してくれていたか、どれほど私と結婚するのを楽しみにしてくれていたか、どれほど未来を生きたかったかを私に理解させるのに十分すぎる内容だった。


電話を切った後、彼の気持ちや無念さを考えてしまい、慟哭してしまった。
何であんなに優しい彼が逝かなきゃいけなかったんだろう。
本当に人の死って理不尽だ。

寿命の半分

彼がいなくなってから、私の残りの寿命はどれだけだろう・・・と考えるようになった。
そもそも人の寿命は決まっているんだろうか、とも考える。


でももし私の残りの寿命が決まっているのであれば、それを半分彼にあげたかった。
そしたらこの世にいられる時間は短いかもしれないけれど、いなくなる時も一緒だ。


あの世というのがあるのであれば、そこでも一緒に過ごせただろう。


これは私だけでなく、大切な人と死別された方全員が願うことだと思う。
叶わないって頭ではわかっていても願ってしまう。


寿命がわからないのは怖い。
彼がいた時はいつ自分がいなくなるかわからないから怖かった。
でも今は違う。
彼がいない世界で自分だけだらだら生きてしまう可能性があることが怖い。
はっきり言って地獄だ。