これについてはあまり考えないようにしていた。
でも彼がいなくなった直後は一瞬「後追い」も本気で考えた。
住む世界が違ってしまった、生きているうちはもう二度と会えない。
だったら私がそっちに逝くしかないじゃないか、と。
私の家族や友人には言ったことはないが、包丁の前で真剣に悩んだこともある。
でもわりとその考えはすぐに打ち消された。
理由は大きく分けて3つ。
私がいなくなったとしても彼に会える保証がないこと。
彼を喪ったその痛みを知っている私が、周りに同じ痛みを与えるのは嫌だったこと。
そして・・今私がいなくなれば確実に彼のせいになること。
最後の理由が一番大きかったと思う。
私がいなくなった後「ナナドゴブは弱かったんだ」とか「こんなにまわりに迷惑をかけて」とか言われるのは別にいい。実際その通りだと思うし。
ただ「彼がいなくなったからだ」と言われるのだけは嫌だった。
彼のせいにされるのだけは耐えられなかった。
そんな風に考えて何とか希死念慮を打ち消してきたんだと思う。無理やりに。
今もその思いは変わらない。
でも希死念慮が完全に消えたか、と言われるとそうではないと思う。
こんな風に沈んでいる日が続くと、それが頭をもたげてくる。
以前と違うのは「彼に会うため」にいなくなるのではなく、「こんな日常を終わりにしたいという思いが強くなった」からいなくなりたいことだろう。
半年経っても彼を喪った悲しみ、寂しさ、怒りは形を変えて私に襲ってくる。
私は平均寿命まであと60年。彼と過ごした10倍の時間をこんな思いをして、でも日常生活は普通におくる演技をしなくてはいけないのかと思うと吐き気がする。
半年でもう挫折しかかっているのに、そんなに長い時間耐えられる自信がない。
彼に会うためとかではなく全部終わりにしたいという思い。
完全に自分のためだ。むしろ自分のことしか考えていない。
つくづく自己中心的な人間だ、私は。
多分、そんなことを思いながらなんだかんだで生き続けていくんだろうと思う。
でもこんな思いは誰にも吐き出せない。例え家族でも友人でも。
だからここで吐き出させてもらいました。
ここを読んでおられる方で、不快な思いをされてしまった方がおられたら本当に申し訳ありませんでした。