いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

最期を迎えた後

唐突だけど、この記事の続き。
彼がいなくなった後。そのことを書きとめようと思う。
彼の入院生活のことは一気に書き上げられたけど、それ以降のこと(葬儀のこととか)はなかなか書くことができなかった。
辛すぎて。
でも、だんだん思い出すまでに時間がかかっていることに最近、気がついた。
このまま、忘れることの方が嫌だから。
記録に残しておきたい。



午前4時32分。
主治医が彼の死を確認した後、看護師がエンゼルケアのため数人入って来た。
この時、私は彼のエンゼルケアを手伝いたかった。
特に髪の毛を洗ってあげたかった。
入院中、シャワーなんてもちろんできなかったから、たった6日間で彼の髪は皮脂で汚れてしまっていた。痒そうだった。
『いつか洗髪してあげるよ!』なんて彼に言いながら、一度も頭を洗ってあげたことはなかったっけ・・なんてぼんやり思っていた。
そこで激しい後悔とか、罪悪感とか、普通なら湧き上がってきてもおかしくないのに、”彼の死”という衝撃が、完全に感情を麻痺させていた。


結局エンゼルケアはできなかった。
看護師もこちらに何も訊いてこなかったし、彼のご家族も何も言わなかった。
だから私も何も言わずに外に出た。
勤務先の病院ではご家族が望めばエンゼルケアを行うことができる。
もしかしたら彼が入院していた××病院も、希望すれば行えていたかもしれない。
本当は言いたかった。させてくださいって。
でも彼の家族の手前、でしゃばった真似はできなかった。
私は”彼女”だから。
家族じゃなく、他人だから。
気持ちの上では彼と強い結びつきがあったのかもしれないけれど、それを客観的に証明できるものなんて何もない。
家族の思いが優先されるべきだ。
そんな気がして言えなかった。


エンゼルケアが終わるまでの間、ICUの前にある談話スペースに座っていた。
12月の明朝。暖房がかかっているとはいえ、足元は冷え冷えとしていた。
お義姉さんから「葬儀社ってどこがあるんだろう。ナナドゴブちゃん、何か知っていることある?」なんて訊かれたけれど、正直生返事だった。
26年間の人生の中で、葬儀なんて片手で数えられるほどしかでていない。
わかるはずがなかった。どこがいいかなんて。
お義父さんが最終的に決めて、どこかへ連絡していたことは覚えている。
彼の実家の近くの葬儀社だ。
そういえば途中で彼の主治医が死亡診断書を持ってきていたっけ。
私はぼんやりと談話スペースの掲示板に貼ってあったポスターを眺めていた。
高額療養費のお知らせのポスターと、個室と食事代の料金のお知らせのポスターだった。
こんな妙なことだけ覚えているんだ。


彼のエンゼルケアは一時間ちょっとで終わったらしい。
と、同時に葬儀社の人が来られ、彼をストレッチャーに乗せた。
彼は全身を布団にくるまれていた。顔は見えなかった。
ベルトで彼の身体は固定される。
「苦しくないの?」思わずストレッチャーの彼に訊きそうになった。
もう息はしていないから、苦しいわけないのに。
感情は麻痺していたけど、私は無意識のところで彼の死を拒否していた。


葬儀社の車にはお義姉さんが同乗されることになり、お義父さんとお義母さんはその後を車で追うことになった。
私は一度アパートに戻り、準備をしてから行くことにした。
お義姉さんから「詳しいことが決まったら連絡するね」と言われ、連絡先を交換した。
彼を病院から見送るため、葬儀社の車が止まっている出口まで移動する。
彼の身体が通る通路とは別のエレベーターからその出口に向かった。
主治医とICUの看護師が案内してくれた。
出口に着くと、ちょうど彼の身体が車に乗り込むところだった。
外に出ると雨が降っていた。
彼は布団にくるまれていて濡れなくてすんだので、あれはあれで良かったのかな、なんてまたぼんやりと思っていた。
主治医、看護師と一緒に礼をして車を見送る。
頭を上げた時、あぁ終わってしまったんだ、なんて思ったけれど。
それでもやっぱり感情はついてこなかった。


彼が出て行った出口から、一般の夜間入口に向かった。
その時、彼の主治医と二言、三言言葉を交わした。
自分も病院に勤めていることと、彼を診てくださったお礼。
そんなことを話したと思う。


病院を出る時何の気なく振り返ってみる。
誰もいなかった。早朝だから当たり前なんだけど。
雨がシトシトと降っていたせいか、変に静かに思えた。
周りの世界から自分だけが切り取られたような孤独感を一瞬感じだ。
それでも喜怒哀楽・・なんの感情も湧きあがってはこなかった。

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