「 私のせいだ 」
今日もまた一人、患者が急変し亡くなった。
ずっと持病を抱えておられたとはいえ、まだ若い。50代。
リハビリ担当者と話をしていた時、急に意識を失い心肺停止状態に陥ったそうだ。
懸命に蘇生を試みたけれど・・戻らなかった。
知らせを受け駆けつけたご家族を、私は直視することができなかった。
申し訳ない思い。
そして気持ちがわかりすぎるから。
「私のせいだ。私がもっと・・もっと早くにちゃんと向き合っていたら。きちんと看てあげていたら。私のせいだ。ごめん、ごめんなさい。」
奥さんの言葉。
こんな時、本当に何て声をかけたらいいんだろう。
いや、どんな言葉も意味を成さないことは私が一番よくわかっている。
客観的にみると奥さんのせいでは絶対ない。
外来通院の時も付き添って病気についてきちんと知ろうとされていたし、今回の入院期間中も、三交代の忙しい勤務の合間をぬって見舞いに来ておられた。
今回の入院も、奥さんが異変に気づいたから。
とても献身的で熱心な奥さん。
でも、だからこそ考えてしまうんだろう。
自分のせいだって。
私もそうだから。
あの時こうしていたら、未来は変わったんじゃないかと考え、それをしなかったからいなくなった=私のせいだと思ってしまう。
今は最初ほど考えなくなったけど、その考えが払拭されたわけじゃない。
これは多かれ少なかれ、遺された方は誰でも抱く感情なんだろうな。
同志の方と話をしていても、私のせいと考えている方は多いなって思う。
絶対にそうじゃないんだけど。
他の方には自信をもって「あなたのせいじゃない」って言いきれるけど、自分に置き換えるとそう思えない。他の人から「あなたのせいじゃない」と言われても。
罪悪感は今でも心の奥底にしこりとしてある。
むちゃくちゃ矛盾してるな、自分。
無理かもしれないけど、どうかあの奥さんも自分を責めすぎないでほしい。いや、今は自分を責めてもいつか、自分はできることはしていたと認めてあげてほしい。
そう願ってる。