いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

ざわめきの原因(2)

前の記事の続き。


二つ目は「彼と再会するということが心の奥底で信じきれていない」ということ。
彼に再び逢うこと。
そして今度こそずっと一緒にいること。
これは私が1年2ヶ月の間、ずっとずっと切実に願っていること。
そうなってほしいと考えていること。


でも・・・
本当に死後の世界なんてあるのか。魂なんてあるのか。再び逢えるのか。
そう疑ってしまう自分がいる。
確かに私は彼がいなくなってから、彼のメッセージなのかな?と思うものをたくさん受け取ってきた。
夢とか、手紙とか、彼の姿らしきもの(?)が見えたりとか、泣き叫んでいる時に彼のお父様からお電話をいただいて我にかえったりだとか。
それを「メッセージ」といえばそう。でも「偶然」と言ってしまうこともできる。


もともと私は現実主義で。
目に見えないもの、聞いたことのないものはあまり信じない傾向にある。
この世界でただ生きていくうえではあまり不都合はないのかもしれないけれど、今となっては結構マイナスなんだと思う、この気質は。
死後の世界があるというのであれば、どうして言う人言う人によって違うんだろう。
そこで再会できますよ、と言う人もいるし魂のレベルによっていく所が違う、なんていう人もいる。
他にも細かい違いがいろいろ。
死後の世界なんて証明しようがないから仕方がないのかもしれないけれど、言うことが違うってことは、やっぱり生きている人間が創り出した空想の産物じゃないか、という考えは捨てきれない。
可愛くないな、私は。


逢いたい。でも逢えるかどうかわからない。どちらが本当なのか確かめる術がない。
もどかしい。とても歯がゆい。


「彼はナナドゴブの幸せを願っているよ」
「彼は傍で見守ってくれているよ」
「彼はナナドゴブが笑顔でいてくれた方が嬉しいと思うよ」
よく聞く言葉。飽きるほど投げかけられた言葉。
そうだといいなと思いつつも、信じきれない自分がいる。
だって見たわけじゃない。聞いたわけじゃない。
彼の姿や気持ちを。


「彼はナナドゴブに自分の分まで人生を楽しんでほしいって思ってるんじゃないかな」とも言われたことがある。
私は「そうですね」と言いつつ、この言葉だけは同意できなかった。
だって彼と私は別の人間だ。価値観だって違う。
私が楽しいからって彼が楽しいとは限らない。お互い一緒に過ごしていないのに。
私の時は進むし、彼の時は止まったままだ。
それはお互いにとって、とても残酷なことなんじゃないかって思う。
一緒に歩みたいと思っている者同士だったのであればなおさら。


だいぶ話が逸れたし、何を言いたいのかわからなくなってきた。


自分の希望と、自分の根底にある価値観。
これが正反対だから苦しいんだろうとも思う。

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