いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

お墓参り、考えたこと

昨日、今日とお墓参りには行った。
彼のご両親とのこともあり、あまり人には会いたくないなと日の入り直前の時間帯を狙って行った。
昨日も今日も晴れていたので、綺麗な夕焼けと白く細い三日月も空に見えた。
蝋燭と線香に火をつけ、花と彼の好物を供える。
その後は・・ぼーっと座ってひたすら考えていた。空を見ながら。


私は彼が好き。
今でも一番愛している。
でもこの気持ちは歓迎されないものなんだろうか。
彼はどう思っているのか。
彼には訊けないし、私が生きている間は答えはみつからない。
彼は家族を大切にしていた。
彼の大切な人を苦しめるこの想い。
想いを捨てることはできないけれど、もう表に出すのは辞めた方がいいんだろう。
多分、彼のご家族は私が新しい人をみつけ、新しい人生を歩むことを願っておられる。
それは私とそして何よりも彼を思ってのこと。
馬鹿な私でもそのくらいは想像がつく。


じゃあ私はこれからどうする。
どう、生きる。
希死念慮は今でもあるけれど、死ねない以上生きるしかない。
でも未来のヴィジョンが全く見えないのだ。
正直1年後すら想像ができない。
周りに流されて、仕事だけは続けて、いきあたりばったりで過ごしたこの1年10ヶ月。
無駄な時間だったとは思わない。
果たせなかった約束も果たしたし、何よりたくさんの同志の方と繋がることができた。
でも生きたいと思って過ごした時間でもなかった。
というより、彼がいない時間をここまで過ごすと思っていなかった。
時間が流れているから、とりあえず生きたという感じだ。


どうすればいい?とお墓に向かって訊こうとしたけど、辞めた。
これからは何をするにも私一人。
自分で決めて、自分で責任をとらなくちゃいけない。
現実を認めたくないけど。
これからも生きていくってそういうことなんだと思うと、全力で逃げ出したくなる。
いや、今も逃げてるか。
時間は流れているけど、未来に向かって歩いていないことには変わりないから。


結局、お墓で結論は出せなかった。
悩んで自分でも収集がつかなくなって、考えることを放棄した。
明日からはまた忙しい毎日に忙殺されるだろう。
本当に一人で生きていくって難しいね。
誰かといる喜びを知ってしまった後だと、尚更。



取り留めのない長文すみませんでした。

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