いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

体調不良の中で、考えたこと

※暗いことを書くので堕ちている方は読まれない方がいいかもしれません。また、人によっては不快な表現があると思います。





今日、目覚めても身体の不調は続いていた。
仕方なく食事して薬を飲んで、たまにお菓子をこれでもかとたくさん食べてベッドでごろごろしていた。
身体を動かしていないので、どうしてもいろいろ考えてしまう。
ネガティブな方向へずるずると。
体調不良のせいもあるのかもしれないけれど。


彼が見えなくなって、聴こえなくなってもう2年が経とうとしている。
この2年、そりゃあもういろいろあった。
今、私は彼のいる時とは違った自分になりつつある。
良いのか悪いのかはさておき。
最大限良く言えば、感情的にならなくなっている。
悪く言えば(多分こっちの方が正しい表現だ)、相当醒めている。
他の人であったら怒ったり悲しんだりするであろうことを「へぇ、そう」で済ませてしまえる。表にはもちろん出さないけど。
彼といた時、私は多分もっと感情豊かだったはずだ。


あとは昨年より彼が遠い所へ行ってしまったような気がする。
去年は彼と死別した直後で感情の激動も相当なものだったが、何となく彼を身近に感じていた。まだ私の知っている「彼」として存在している気がした。
それが・・いつの頃からか彼の存在が遠くなってしまった。
彼がいたとしても、もう完全に別の次元になってしまっている気がする。
感覚的なものだから、上手く言えないけれど。
その感覚がより一層、もう会えないんだって実感を強くする。


こんな感覚に苛まれるぐらいなら、自分でどうしようもなくなるくらいなら、彼を身近に感じていた去年のうちに自分も逝ってしまった方が良かったんじゃないかって思ってしまった。
これからどんどん彼が知らない自分に変わっていく位なら、彼が好きだった自分が少しでも残っているうちに、さっさとケリをつけていた方が良かったのではないかと。
希死念慮。再び。
あぁ、いなくなりたいなぁって漠然と思った。
誰の記憶にも残ることなく、むしろ始めからいなかったかのように消えることができたらいいのにと。


ただ、実行はしない。
「死」は当たり前だけど体験したことがない。
逝ってしまえば会えるのかもしれないけれど、会えないかもしれない。
会えなくて後悔したとしても、もう後戻りはできない。
リスクが大きすぎる。
一番大切なのは彼だが、他にも大切なものはある。
家族とか、友人とか。自分を心配してくださる同志の方とか。
全てをかなぐり捨てて大博打をする勇気は私にはない。
こんな時でも相変わらず客観的にそう考えている。
やっぱり冷たい女だ、私は。


明日のことはわからないけれど、多分、生きている。
結局だらだらと。こんなどこにも行き場のない思いを抱えながら。
それはもうどうしようもないことだって半分諦めがついている。
明日は、ちゃんと家のこともやらないと。

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