いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

努力の結果

「努力をしても報われない時は報われない」
彼がいなくなった時、私が嫌というほど思い知ったことだ。
もちろん自分の夢とか希望とかを叶えるためには、ある程度は努力しなくてはいけないと思う。
私は彼がいなくなるまでは『努力をした人にはそれ相応の対価がある』と信じて疑わなかった。


ブログにも何度か書いたと思うが、彼は並々ならぬ努力をする人だった。
話を聞いている限り、おそらく私と出会う前から。
怪我をしてからは、車椅子というハンディゆえできないこともたくさんあった。
そして「どうせ車椅子だから~だろう」というような偏見にもたくさんさらされてきたと彼から聞いた。
でも彼は「どうすればできないことを補えるか」ということを考えて、自分で創意工夫して取り組んでいた。
人一倍努力して、たくさんのことができるようになった。
そして次は私との「結婚」にむけて、いろいろと動きだそうとしていた。
2人でもっともっと幸せになれたらいいね。そう話していた。


その矢先だったんだ。彼がいなくなったのは。
志半ばで、どんなに悔しかっただろう。
私ははっきり言って愕然とした。
何であんなに努力していた人が、報われずにこの世を去らなくちゃいけないの、と。
努力をしたら、幸せになれるんじゃないのかと。
彼の結婚にむけて、私だって努力をしていなかったわけじゃない。
でも全部打ち砕かれた。


今の私は無気力だ。
ただただ毎日をルーチンワークのように過ごし、流されるままに生きている。
努力してそれが何になるの?と思っている節さえある。
なので大きな夢とか希望とかをもう持たないよう、無意識に避けているのかもしれない。
努力をしなくてもいいように。
ニュースとか本とかで『努力した成果が実りました』と努力することがいかに美しいか、ということを伝えたいような話題をみても、見えないところでは何百何千もの報われなかった努力があるんだろうな、と冷めた目で見てしまう。
これで彼のように何事にも努力できる人間になります!と宣言したら、それはそれでカッコいいのかもしれないけれど。
生憎、私はそんなできた人間じゃない。


努力をして夢を見て希望を抱いて、それを壊されるのはもう嫌だ。
自己中心的と罵られようと蔑まれようとあんな思いはもうしたくない。
自分の人生を叩き崩されるあの感覚は。

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