いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

Mさんとお会いして

結局、自分の負の感情はあまり表には出さなかった。
やっぱりどうしても自分の心の内を話すのは身構えてしまう。
仕方のないことだと思うけれど。


ただ、結論から言うと行って良かったと思う。
まだまだ自分の中で言われたことを整理しきれてないので、箇条書きにしてみる。


「ナナドゴブさんは多分、他人に答えを求めていない」
「死別を自分で何とか昇華しようとしている。無意識に。それは前を向いて生きていくうえでは良いことだけど、抱え込みすぎると逆につらくなる。まだ1年ちょっとしか経ってないしね。焦らずに。」
「多分、まだまだ悲しみとか苦しみとかとはしっかり向き合えないでいるよね?それでいいよ。封じ込めている状態だから、時々その蓋が開くことがあると思う。そんな時は友人とかに頼りなよ。」
この言葉は結構当たっているなと思った。
私はこの1年、相当泣き喚いた。悪夢なら覚めてくれ、戻れるものなら戻ってくれ、そう思っていた。
でも数ヶ月前から、もうどう足掻いてもあの頃と同じようになるのは無理だ、と諦めの気持ちがあった。
とりあえず何とかしよう、とは自分の中でもほんの少し考えていた。


あとは彼の事。
「若いのにすごくしっかりした人って印象を受ける。ストイックな人だったんだね。」
「彼はナナドゴブさんが悲しんでいる様子をみて、自分はこんなに愛されていたと救われている部分もあると思う。ただ、最終的にはやっぱりナナドゴブさんの幸せを願っていると思うよ。」
「彼の姿をイメージして、今日あったこととか愚痴を言ってみるといい。もしかしたら何か答えをもらえるかもしれない」と。
彼の魂はナナドゴブさんの傍にいるんじゃないか、とも言われた。
私は現実主義なので、イマイチピンとこなかったが。
でも彼の姿をイメージするのはやってみようと思った。
もしこれで鈍感な私でも、メッセージが受け取りやすくなるのであれば嬉しい。


Mさん曰く、夢にちょくちょく出てくるのは行くべき所に行ったからだそうだ。
私はそれを聞いて少し安心した。
それが本当ならいいな、と思った。
私は彼が自分の死を受け容れているか、もすごく心配だったから。
どこかを彷徨ってないといいなとずっと思っていた。


細かいことはもっとたくさん話した。
まだまだ実感できない話もあったし、納得いかない部分もあったけれど。
でも何より
『悲しんでいること、前に進めないことを否定されなかったこと』
が一番大きかったと思う。
『彼と2人でこれからも歩んでいきなよ』と自然に言われたことも嬉しかった。
彼を想い続けることも肯定してくれた。
彼を実感するには、私がもっと修行しなくてはいけない感じだけどね・・


Mさんの話は半年ほど前の私だったら、ものすごく反発していたかもしれない。
でも今は少し客観的に、冷静に受けとめられていた。
そういう意味では、私もこの1年で変わったのか。時薬なのか。
よくわからない。


もう一度Mさんと話をする機会があったら、今度はもう少し踏み込んだ話をしてみたい。

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