いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

捻くれている、嫌な自分(2)

「神様は乗り越えられない試練は与えない」
こんな言葉も聞いたことがある。聖書の言葉らしい。
昔は何とも思わなかったけれど、今は正直はぁ?という感想だ。
ものすごく嘘っぽく聞こえるし、そんなわけないとも思う。


そもそも「彼がいないことを乗り越えること」がよくわからない。
乗り越えるとはどういうことなのか。
何を終着点にすればいいのか。
それすらよくわかっていないのに、乗り越えるなんて不可能だ。


それに私が彼がいなくなったことに耐え切れず、狂ってしまったとしたら、神様とやらは試練に耐え切れなかったと判断して彼を生き返らせてくれるのだろうか。
そんなわけない。
私が狂ってしまって自分が誰だかわからなくなったり、彼との想い出を忘れてしまったとしても、彼がこの世にいないことに変わりない。
私が狂わなかったりましてや後追いをしたりしないのは、彼との想い出を消したくないからだ。
私が存在することによって、彼や彼との記憶を少しでもこの世に留めておきたいからだ。
それに自分が今どうにかなってしまったら、間違いなく彼のせいにされる。
それだけは避けたいから。


そう思って何とかぎりぎりの所で踏みとどまっているのに、それを「耐えられる」と判断されても困る。
耐えられるわけじゃない。そうするしかないのだ。そういう風にみせるしか。
いきなり幸せから突き落とされて、過酷な現実を突きつけられて「大丈夫、あなたなら乗り越えられるよ」と言われても腹が立つ。


「神様は乗り越えられない試練は与えない」
この言葉は人によってはものすごく励まされるのかもしれないが、私にとってはものすごく残酷な言葉だ。

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