いつかあなたに逢いたい

2015年12月に6年付き合っていた最愛の彼を喪いました。
正直どう生きていったら良いのかわからないまま・・・今を過ごしています。

捻くれている、嫌な自分

「寿命を全うしたらいずれまた再会できる」
「だから自分の寿命がくるまで生き抜くことが大切」


死別を経験した方なら一度は聞いたことのある言葉だろう。
この言葉を支えにして、踏ん張っている方もおられるだろう。


でも私はこの言葉に対し、あまり希望が見出せない。
まず「私の寿命っていつよ!?」となる。
誰にもわからないし、自分自身その時がきてもわからないかもしれないけれど。
健康診断でも異常はなかったし、仮に平均寿命まで生きるとしよう。
今の日本人女性の平均寿命は86歳。私はあと60年ほど。
この1年でさえやっとやっと生きてきたのに、何十回も希死念慮と闘ってきて、どうにかこうにかここにいるのに、それをあと60回も繰り返せというのか。


・・馬鹿じゃないのか。ふざけんな。絶っっ対に無理!!
そこまで耐えて生き抜くなんて無理。


「寿命まで生き抜いたら会えるよ」
言っている方は慰めているつもりかもしれないが、私にとってみたら終わりのない迷路に放り込まれるようなものだ。
先の見えないゴール、どれだけ続くかわからない道をひたすら全力疾走してね☆疲れても立ち止まっちゃダメだよ!と言われているようなものだ。
慰めどころか拷問だ。
そんなんだったら私は立ち止まっていることを選ぶ。
周りからは非難されるかもしれないけれど、そんなの知ったことか。


あとは・・純粋に信じられないということもある。
彼がいなくなってから、あの世はあってほしいし彼とそこで再会したいと思うようになった。
ただ、もともと現実主義だからかわからないが、イマイチ信じ切れていない部分がある。
あの世とか再会できるよ、という言葉を聞いても「え、あなた生きてるじゃん。この世からいなくなってないじゃん。何で見てきたかのように言っているの。」とこれまた捻くれた考え方をしてしまう。


確証が欲しいんだ。彼とまた再会できるっていう。
正直それが示せないのであれば、軽々しく言葉に出してほしくない。


「また会える」
この言葉に死別経験者がどれほどの希望を見出すか、そしてもし叶わなかった場合どれほど絶望するか、多分未経験者にはわからない。


私も怖いんだろうな。いなくなることじゃなくて、彼と再会できないことが。
だからあまり期待をしないように、信じないようにしているのかもしれない。

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